■沿 革


 

明治12年 大工見習いであった大村助太郎(24歳)が、大阪にて当時「木版の名人」と称せられた笠井捨次郎氏より木版製作技術の指導を受け、金沢市宗叔町にて木版印刷『大村生智堂』を開業する。
明治20年 大阪にて銅版彫刻の技術を修得し、金沢市南町にて銅版印刷『大村金陽堂』に改称する。
明治25年 東京にて石版印刷の技術を修得し、同30年石版印刷機(手刷機)を7台導入。南町の自宅庭に石版工場を増築し更に石版印刷機を増設。
明治35年 7月、活版専業の澤田金文堂(金沢市広坂 澤田助太郎氏)と、活版合資会社(生沼倍男氏)の3社で企業合併し、金沢市高岡町に『明治印刷株式会社』を設立。社長に松田潤次郎(元前田家家老本多男爵の執事)を迎え、大村助太郎は専務取締役に就任し、経営全般と石版印刷の技術を担当する。
明治40年 上京して小川写真印刷所の島田登喜雄氏に指導を受け、写真コロタイプの技術を導入。
大正10年 北陸初のオフセット印刷機を導入。
大正11年 業界親睦団体が合併して石川県にて初の本格的な印刷業界組合組織として『金沢活版印刷業組合』が設立され、組合長に明治印刷株式会社支配人 大村重松が就任。明治印刷社屋内に組合事務局が置かれる。
昭和4年  9月10日 大村助太郎 没(74歳)
昭和6年 7月15日 明治印刷株式会社常務取締役であった大村重松(43歳)が独立の為退社。
昭和6年 9月15日 金沢市彦三三番丁の自宅建屋を改築して、平版専業の高級美術印刷会社として、『大村精版印刷合資会社』を設立。無限責任社員(社長)大村重松となる。同時に明治印刷より高澤勝郎氏が加わる。
昭和29年 大村精二 大阪市東成区の写真製版会社潟Tカミプロセス社にて写真製版技術を取得、金沢に戻り入社。
昭和36年 7月11日 大村重松 没(73歳)
昭和36年 〈設立30周年〉 金沢市浅野本町1丁目に移転。社長 高澤勝郎となる。
昭和46年 〈設立40周年〉 金沢市浅野本町2丁目に本社社屋を新築する。社長 大村精二となる。
昭和52年 北陸で初の菊半裁4色刷オフセット印刷機を導入する。
昭和56年 〈設立50周年〉 菊全判4色刷オフセット印刷機を増設する。
平成3年 〈設立60周年〉 金沢市湊1丁目に第2工場(湊工場)を建設、四六全判超高速4色刷オフセット印刷機を増設する。
平成5年 プリプレスの工程にDTPシステム導入。
平成11年 社長 大村一史となる。
平成13年 〈設立70周年〉 制作管理子会社として大村印刷株式会社を設立。
平成14年 法人組織変更に伴い社名を大村印刷株式会社とする。
平成14年 金沢市湊1丁目(湊工場敷地内)に本社を新築移転する。
平成16年 刷版工程にCTPシステムを導入し、完全デジタル出力化達成。
平成18年 独ハイデルベルク社製菊全判4色刷オフセット印刷機増設を期に、場内の4色刷印刷機上の色調制御にCIP3システムを導入。
平成18年 (財)日本情報処理開発協会より、JISQ15001(プライバシーマーク)を認証取得する。
平成21年 (財)地球環境戦略研究機関よりエコアクション21の認証・登録を受ける。



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